ギエムで感じた「表現とは?」

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表現ってこういうことか、と、何か大きなヒントを教えられた気がする。

ずっと頭の中でそれを整理しようと思っているがなかなか出来ない。


シルヴィー・ギエムを観た。

あの肉体はなんだ!?

手も足も胴体もそれぞれが独立しているような身体だ。


そのエンターティメントとしての素晴らしさや舞台、台本の面白さはもちろんなのだが、

一番感じたのは彼女の「表現」ということ。

それはもはや「踊っている」というものではなかった。

生きているとでも言ったらいいのか?

そのギエム扮する役の人が生きている。その役の人が喜んでる。その役の人が打ちひしがれている。

その役の人が愛している。


人間が言葉を持たずに自分の気持ちをわかってほしいと思ったならば、

こんな動きをするのではないか、と思わせる動きだ。

何も言わないのに手に取るようにその気持ちがわかる。

心に直接訴えかけてくるのだ。


時々、コンサートを聞きに行って消化不良で帰る事がある。

きちんと弾けているのに「その役の人」が見えない。

ほとんどミスもないのに「その役の人」の気持ちが感じられない。


観に行ったり聞きに行ったりする人は「その役の人」の人生や感情に自分の感情を照らし合わせる。

そして「その役の人」と一緒に(会場が一体となり)感情を高ぶらせ、どこかに連れて行かれるのだ。

それが「表現」であり、一瞬の旅なのだ。

映画でも音楽でも演劇でもバレエでも、その時間だけは全く日常から逸脱して、

違う人間になって違う国や時代や波瀾万丈の人生を、激しい恋愛を、辛い状況から這い上がる勇気を経験する。

それを「一緒に経験する空間」でなければいけない。


すごく不安になった。

私はそんな表現が出来ているのか?

そんな旅をしてもらっているのか?

もっと表現の中の最も基本的な部分にフォーカスしていかなければいけない。

目先のことや難しいパッセージなど演奏家の勝手な事情なのだ。


一流はすごい。


CD情報

諸田由里子 ピアノ・リサイタルII
ドビュッシー「版画」

2010年1月25日発売。
諸田由里子 ピアノ・リサイタルII
ドビュッシー「版画」イメージ
ショパン:ノクターン No.1Op.9-1 No.4 Op.15-1 遺作 マズルカ No.32 Op.50-3 モーツァルト:ピアノソナタ第13番 B-dur K.333 ドビュッシー:アラベスク 版画 月の光
WWCC-7633 ¥2,625(税込)


Profile


諸田由里子 Yuriko Morota
ピアニスト Pianist

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2011年11月

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