ピアノという楽器について考え抜いた3日間。
先週、主人こと山本裕康のチェロの小品集の録音をしてきた。
私の好きなベーゼンドルファーがあると聞き、楽しみにでかけたが、
待っていたのは全然言うことを聞かないピアノだった。
自分の好きな音が出ない。深い音も響きのある音色も出ない。
今までどちらかというと楽器に慣れるのが早いと思っていたのだが、
そのかすかな自信すら完全に打ちのめされた。
どうしたらいいんだろう。
この「自由がきかない」状態は久しぶりだった。
これがコンサートなら仕方がない、最善をつくそうとスパッと考え方を変えられるのだが、
録音となるとそうはいかなかった。
弾いても弾いてもあまり鳴ってこずにベーゼン独特の愛すべき深い音がこない。
その時に思った。音を聞いて弾かずに感触で弾こう。
もうこの状況は変えられない。やるしかない。そしたら音を聞いていちいち落ち込んだり、
こんなはずじゃないとイライラしたりせずに「いつもならこのタッチ」の感覚でいこう。
不思議なものでそう思った途端に音も少し変わってきた。
それでも悪戦苦闘の初日だった。
2日目になり急遽私の調律師さんが来てくれた。(ここは決まった調律師しか基本的に入れない)
唯一の理解者が来てくれたように嬉しかった。
なぜなら楽器の調子の悪さなど、本質の所ではピアニスト以外わかってくれない。
ピアニストにとって調律師さんがどれほど大切で味方なのかを思い知った。
3日目になってようやく少しだけピアノとお友達になった。
彼の(彼女かな?)頑なな心にほんの少し風が入った。
これだけピアノをどういう風に弾いたらいいのかを考えた3日間はないだろう。
どういうタッチで弾けばいいのだろう、とひたすら考えた。
多分私の人生で一番指先が敏感になっていたのではないだろうか。
結果はどうあれ、ものすごく勉強させられた。自分の限界をはるかに越えた気がする。
もちろん願わくば最高の状態で録音したかった。
でも、これも神様が今の私に必要だと与えてくれたことだと思う。
人生に無駄な事は一つもない。
編集されてきて聞くのは本当に怖いけれど、チェロはとても素晴らしい響きだし、
いい曲ばかり入っている。
ピアノという楽器の可能性、そしてピアニストのタッチの可能性は無限大であるほずだ。
気持ちばかりが先走っては決していい音は出ない。
私のピアニストとしても人間としてもまだまだの青二才ということを感じながら、
もしかしたらこの悪条件が私をぎりぎりのところで、より考えさせてくれたのかもしれない。


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